議員定数
来る4月は4年に1回の県議選と市議選が有ります。
話題が日ごとに豊富になつてきました。その話題の一つ、
市会議員の数が多い、減らせばいいのに、と。根拠はなんなのだろう。
その中に「お金がかかりすぎる。もっと働らけ」と。
地方自治法は人口5万以下は26人と定め、報酬は定めていない。
市会議員は何をいくら働いて、その対価(報酬)をいくら受け取っているのか、知らないままに会話が続いている。
相馬市の議員はいくら働いているか(時間的に)を推定して見ました。大きな間違いがあったら訂正します。教えて下さい。
4月に当選し
5月に臨時議会 出席1日
6月に定例議会 〃15日と仮定
7月に常任委員会 〃1日
8月 〃 〃1日
9月に定例議会 15日と仮定
10月に常任委員会 1日
11月に 〃 1日
12月に定例議会 15日と仮定
1月に常任委員会 1日
2月に 〃 1日
3月に定例議会 15日と仮定
一般質問をする議員は質問原稿作成3日とし、年4回の定例会=12日
調査、研究日数は個人差あり。
1年間の稼動日数79日
議員に市費を払っている金額
報酬 議長 445,000円×12月=534万円
副議長 395,000×12月=474万円
議員 375,000×12月=450万円
ホーナス
6月 議長 774,300円
副議長 687,300円
議員 652,500円
12月 議長 774,300円
副議長 687,300円
義員 652,500円
政務調査費 1人 年12万円
私は思います。
相馬市の義員数は地方自治法とおり26名でよい。
議員の主な役目は会議場で市長方針に賛成意見、反対意見を述べることです。
市長方針に賛成意見を述べることは気楽で愉しいです。
市長方針に反対意見を述べるのはなかなか難しくいやなことです。今は賛成議員が多いとか。
人数が多いと反対意見を述べ易く、仲間も出やすいです。
この気持ち皆さん、わかりますよねー。
議員数は地方自治法とおり26名。報酬、ボーナスを減らすこと。 如何でしょう。
「丹下左膳之碑」
インターネットで検索し、見てください。
私たちの思いはインターネットの通りでしたが「実在しない人物の碑を建てるなんて、とんでもない」という微風にあおられてか「丹下左膳之碑」は相馬の観光の目玉商品とはならずマイナーな存在のまま今に至っています。ところが、平成23年2月28日のこと、そんな失望感の中から、もしかしたら「いけるかも」という期待感を抱かせるような希望事件をインターネット上で発見し、ビックリ。
インターネットは「2008年10月16日、福島民友新聞社。木曜ナビ、ほっと面掲載」MAP付きで「丹下左膳之碑」が紹介されているのです。
売り込みは今からでも遅くない。
丹下左膳の映画化、テレビ化はいかがなものでしょう。
智恵を御貸しください。
相馬市を独立国に
マン島は独立国です。
船乗の甥から「首都ダグラスに来ている」と云うエアメールが届きました。良く調べてくるようにメールしました。
マン島はグレートブリテン島とアイルランドに囲まれたアイリッシュ海の中央にあります。広さはほぼ淡路島(592平方km。相馬市は197.67平方km)と同じ位い。人口約82000人。法的にはグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の一部でもなく、イギリス連邦の加盟国でもなく、自治権を持ったイギリスの王室属領です。外交、軍事はイギリス王室に委ねるという法律があり、イングランド法のベースとなった独自の法律を持つ立法議会と下院、行政権を持つ政府があります。
そこで、私が以前から夢想していたことの一つ「相馬市も独立国になれないものかなー」日本国からは交付金、補助金、其の他一円も貰わない。今、相馬市が政府から交付金、補助金、其の他を貰っている額と相馬税務署が相馬市内から徴収してしている額とでどっちが多いのか検討中です。相馬共同火発の電気をもっと高く東京に売る交渉もします。
独立国になると自治に係わる総てが見えて来ます。外交は日本国に委任します。委任料を値切ることも出来ます。軍備を持たないので税金を下げることが出来ます。日本国を通過して相馬国を侵略する国はありません。日本国が攻めてくるかも、それはありません。
マンは島だから独立国でいられる、否、ヨーロッパ大陸には小国が6カ国、もっとあったかなー。サンマリノ、バチカン、モナコ、ルクセンブルグ、アンドラそしてリヒテンシュタイン侯国。
リヒテンシュタイン侯国はオーストリアとスイスに挟まれた面積160平方km、人口3万人弱の国、相馬市だって、その気になれば独立国になれます。
私がリヒテンシュタイン侯国を実地調査しようと思いついたのが平成5年頃でした.。相馬市では誰も相手にしてくれないので、飯館村菅野典雄村長さんをお訪ねすると「行って来てください、帰ったら報告会を開き、皆で研究したい」と、おっしゃつてくれました。私は勇気を得てリヒテンシュタイン侯国大使館とも言える、日本、リヒテンシュタイン協会、会長植田健嗣様に問い合わせました。「普通の旅行者なら何時でも良いが、政治がらみであれば申し込んでから1年以上後になります」と。
其の頃、孫の1人がパリ留学中、この孫の通訳でと思っていたのに孫は半年後に帰国することになり、此れでリヒテンシュタイン侯国実地調査は断念せざるを得ませんでした。
独立国「相馬」に気のある人は全員集合、研究に入りましょう。