2011年2月23日水曜日

蓮池に蓮の花を

蓮池に蓮の花を
私がここ北町に住み始めたのは昭和23年暮ですが、翌年夏、蓮池の蓮は所々に出ている感じでした。その後、丸三製紙の汚水が流入し蓮池はヘドロ化し、蓮は枯れてしまいました。私の呼びかけで昭和49年1月23日「お堀を元に戻す会」を結成し、丸三製紙には浄化槽を造ってもらいました。市はヘドロの一部を撤去、「お堀を元に戻す会」に集まったお金の残金は市に寄付、市は其のお金で蓮池に蓮を植えました。世間では「この蓮は佐久間さんが植えたんだ」と言いますが。
2~3年後、再生した蓮は蓮池全部に拡がり、まさに「蓮池」と呼ぶに相応しい状態となりました。ところが平成16年、初夏になっても、せいかになっても蓮の花どころか、葉っぱ1枚すら出ません。「どうしたんだろう、どうしたんだろう」兎に角、調べまわりました。蓮根の産地、土浦市や生産者にも聞きました。角田市役所にお願いして手代木沼から蓮根を2年(2回)も頂き植えました。実もいただきました。伊豆沼にも問い合わせしました。山下町役場の案内で大戸浜に酒を持って2年(2回)通いました。遠くは佐賀城址公園、弘前城址公園にも電話をしてお聞きしました。それでも、まだ、どうして蓮池から蓮がなくなったのかは掴んで居ません。それにたいして蓮池下流、北堀の西部分、ヨークベニマルの南の白蓮の増えること、増えること、これからしても、どうやら蓮壊滅原因は水質ではなさそうです。平成21年夏、桑折町の蓮まつりで蓮1樽1万円でで買って来て、ご指導通り平成22年春、蓮池周辺の6人と槍町の伏見さん(蓮も頂いた)の御協力で蓮池に植えました。その夏には5~6枚の葉が出ました。
私「ほまぢ」で前記ヨークベニマルの南のお堀にも植えて見ました。花が8ッ咲きました。今年も咲くことでしょう。蓮池の方はどうなるでしょう。
1、蓮は三連以下に切り離なさないこと。
2、桜の花が咲いている時に植えるのが一番活着し易い事。
この教えの通りに今年も努力して、蓮池を何とか、よみがえらせたいものです。ご協力下さい

2011年2月22日火曜日

花の山」造成中

「花の山」造成中」
場所、相馬市大坪字御所ノ宮
 ここ、20年来「この地に花の山を造りたい」というのが私の夢でした。
平成19年9月周辺約20haの土地所有者約20名の了解を得て、先ず、自分の持山7685㎡に「ツツジ、サツキ」を中心に花木を植え始めました。今の時期は2~30cmに延びた篠竹の笹刈をしています。晴耕雨読宜しく、暖かい晴天の日は欠かさず笹刈です。風もなく太陽さえ出ていれば快適に作業が出来ます。
 ツツジ、サツキ、花木、何れも頂いたものばかりです。条件の向いているところには草花も植えてあります。去る秋には期待したほどではなかったのですが、満山、コスモスが咲きました。
 今、植える時期を待っている花木が4~50株、植樹の最適は4月です。
去年の夏は暑かったなー、娘3人、東京から山形から「ポカリ水をいっぱい飲みながら仕事してね」と電話も。遠隔操作。
 ツツジ、サツキの花が全山に咲き誇るのは2~30年後です。うまく、20ha全山、花となれば東北地方最大の花の山となることでしょう。「お前それまで生きている気か」 その通りです。私は始める時から満山の花を見ようとは思っていません。後世の人々が花見の列をつくってくれるのを心に思い描いているだけです。
 先人が道路を造り舗装しました。今は快適にドライブが出来ます。この先人に見習って私はせっせと山に花木を植えるだけです。
 「夢は御所ノ宮の荒れ山を駆け巡る」それだけで、満足です。

2011年2月19日土曜日

桜丘小児童見守り歩行1700km(佐久間清登)

桜丘小児童見守り歩行1700km(佐久間清登)

2006年(平成18年)5月22日秋田の米山豪憲君(7歳)が殺害され、加害者は逮捕されました。
この事件の新聞、テレビを注視しているうちに、地域の子供は地域で守るほか無いと言う思いを強くし、この年の秋から地元、桜丘小学校の下校時に見守り歩行を開始しました。
1日の歩行距離2154m、時間約30分。学校の休日、私用のある日を除き、雨の日も風の日も毎日歩き続けています。
初めの頃は普段着で、そのうち学校から「桜丘小PTA」の黄色い旗をお借りして歩くようになり、平成21年4月からは学校より渡された「PATROL桜丘小学校見守り隊」のユニホームを着て歩いています。「一緒に歩きませんか」と声をかけても今もって皆無。道連れが居なくても健康維持には抜群です。主に歩くコースは自宅ーさくらがおか保育園西ー小泉川沿いー桜丘公園東ー松川口ー蓮池沿いー自宅です。表通りは監視の目が届くので主に裏通りを歩いています。

私の歩幅=75cm  1日の歩行歩数2873歩  1日の歩行距離2154m
1年の歩行日数
365日
-57日(春休12日+夏休30日+冬休15日)
-104日(52週×2日(土、日))
-24日(自己休=1ヶ月2日×12月)
= 合計180日
1年の歩行距離180日×2154=387720m
1ヶ月平均歩行距離387720÷12=32310m
平成18年の歩行  =11月と12月=2ヶ月×32310m=64620m
〃19年〃  387720m
〃20年〃  387720m
〃21年〃  387720m
〃22年〃  387720m
〃23年〃=20日(回)だけ×2154=43080m
計1658580m=1658km
これを東京往復に置き換えると。  東京日本橋から相馬市新沼まで300km
1658km÷600=2往復。  余り458km。  3往復目、東京から相馬に向かって今は「北茨城」辺りを歩いているはずです。相馬に着くのは6月中旬です。これで東京3往復完歩です。お出迎え、宜しく。
平成23年2月17日

2011年2月16日水曜日

松ケ房トンネル工事見学記

松ケ房トンネル工事見学記                      平成23年2月3日
太陽が西の山並に沈むころ、私の生家、丸森町筆甫からの帰路、松ケ房ダム下流の松ケ房トンネル(1330m)工事現場を見学させて貰いました。先ず工事現場事務所に立ち寄り来意を告げました。事務所には3人おり、その中の1人に「私はここの責任者です」とご挨拶を受けました。何やら電話連絡をし、終わって「案内します」と、言われ、現場の車に乗せていただきトンネルに入りました。
 大きいこと、広いこと、高いこと、といったら、まるで東京ドーム(見たことが無いけれど)さながら、「この辺は工事が終わっています、照明灯の取り付けは終わっています」と、トンネルを進むごとに停車、下車、丁寧な説明「このあたりは入れ口から1000mで、掘削が残っているのは約300mで5月には貫通の見込みです」掘削機材も整然としており、ここが工事現場かと思ったほどでした。
 会話の中で「団体でおいでいただければ良いのですが」と。
そこで思ったこと。玉野小学校でも見学すればいいのに、と。翌日玉野小学校に電話をしました。受話器の向こうで「去年、公民舘のお誘いで見学しました」どうやら、一般に公開されていたのに気づかなかったのは私だけのようでした。
 念願がかない、脳裏の願望が一歩前進しました。
お世話様になり有難うございました。感謝しています。

2011年2月15日火曜日

横断歩道の横断 心が温まる合図

福島民報2011年1月28日付みんなのひろば掲載
横断歩道の横断
心が温まる合図
相馬市、佐久間清登(86)
先日、昼近くに自転車で使いに行き、大通りを渡ろうと思い横断歩道の手前で右側を見たら1台の車が停止線で止まってくれました。「渡ろう」と思い横断歩道へ1歩踏み出し左を見るとタクシーが見えました。「これはいけない」と踏み出した足を引っ込め、戻ろうとしたところ、タクシーの方向から「プーッ、プーッ」とクラクションが聞こえてきました。「渡ってもいいですよ」との合図でした。
私はお礼の意味を込めて片手を高く挙げて横断歩道を無事渡りきりました。たったこれだけのことですが胸の辺りがほんわか温かみを感じました。このようにドライバーの皆さんの心がけ次第で交通事故は少なくなるのではないかなーと感じました。
まず、自分から気を付けることが一番と思います。事故を起こさず、遭わず一年を過ごしたいと思います。

あれれ

あれれ
舗装道路がびしょびしょ、漏水と思い水道事業団に電話をしました。  住所、氏名と電話番号を聞かれました。
放置自転車を見つけ、警察に電話をしました。  住所、氏名と電話番号を聞かれました。
公園の水飲栓とトイレのところが寒さで破裂、水が吹き上げていたので、市役所に電話をすると、ここでも住所、氏名と電話番号を聞かれました。
漏水を連絡して頂き有難うございました。修繕工事が終わりました。
放置自転車でした、警察で引揚げました。ご連絡頂き有難うございました。
水道破裂を連絡して頂きありがとうございました。修理が終わりました。と。
事後報告のために電話番号を聞かれたものと思っていました。ところがいまだ何の電話もありません。
そこで気が付きました。
私の住所、氏名と電話番号を聞いたのは後日、報告するためではなく、いたずら電話だった時に私に厳重注意するためだったらしい。
おかしな時代になってしまったんだなー。