2011年4月27日水曜日

蓮池の蓮

相馬中村の馬陵城址公園内に面積18379㎡の蓮池があります。私の家からは約30m南にあたります。私がここに住み始めたのは昭和23年の暮です。
 翌年の初夏には蓮の葉が拡がり、盛夏には花が咲きましたが、まだまだ蓮はまばらでした。
昭和30年代に入り、この蓮池に源流を注ぐ水路の上流に製紙工場が出来、汚水は流し放題。城址を取り巻くお堀にはヘドロが溜まり腐って、悪臭ぷんぷん。蓮は何時しか消えてしまいました。お堀周辺の人々の中には悪臭で咽喉を痛める人が発生した程でした。相馬駅に下車したお客様が「相馬にも温泉があるのですか」と。ヘドロの悪臭を硫黄温泉独特の臭いと勘違いした人もあった程です
 私の呼びかけで周辺住民で「お堀を元に戻す会」をつくり、製紙工場を征伐したのが昭和52年でした。市がヘドロを撤去しました。そのとき多くの市民から寄せられたカンパの残金9万円余は市に寄付しました。そのお金で市は蓮池に蓮を植えました。2~3年して蓮は蓮池の全面に拡がり花を咲かせました。北側市道路面より高く葉茎が伸び花をつけた様は見事でした。おとづれる人も多く、市民の目を楽しませてくれました。昭和60年代に入り「蓮は時々掘ったほうがいい様ですね」の声もあり、一回だけでしたが蓮池の「にごし」(池の水を抜き魚を捕る行事)、これも私の呼びかけで実施、鯉をつかむ人、協力する人、見物人、蓮池の周辺にはお祭り同様の人の山。
 盛夏の頃には蓮池の東の土手下で「蓮のお花見会」も開きました。その頃、私は相馬市議でしたが、後援会の別名を「蓮池会」と名付け、秋には江下の御協力で毎年のように蓮根掘りをしました。私の市議活動12年も終わり、御協力いただいてきた江下の方々も御高齢となり蓮根の掘り取りも中止することになりました。
 平成16年初夏、盛夏、猛暑を迎えても蓮池には一枚の蓮の葉も見えない「どうしたんだろう、どうしたんだろう」と、気が気でない毎日が続き平成17年の初夏を迎えても同様でした。多くの情報を集めましたが、原因究明に至る確実な情報がないまま平成23年の今に至りました
 その間、角田市役所にお願いし「手代木沼」から2ヵ年に亘り蓮根を頂き、植えました。山元町役場の案内で磯浜に2年間に数回お伺いしましたが不発。この溜池は平成23年3月11日の東日本大地震の津波で呑み込まれてしまいました。伊豆沼にもお電話しました。弘前城址公園では蓮が激減、ザリガニ退治作戦をとると云う。佐賀城址公園では「みどり亀」が蓮の新芽を好むと云う。ザリガニ退治作戦、みどり亀対策、何れも私費では出来ません。市は蓮池の底土を調査する「予算が無い」と、お断り。土壌検査は私費でやりましたが「異常なし」でした。平成21年8月1日~2日、桑折町で「第7回蓮まつり」が開かれ、そこから蓮1樽1万円で購入、指示とおり平成22年春、蓮池周辺の方々と蓮池に植えました、そのとき、槍町の伏見さんから頂いた蓮も蓮池と北外堀に植えました。蓮池の活着は1割程度、北外堀は大成功で花が7個も咲きました。平成22年暮、妻がフルーツエンドーの店頭で「この蓮根を買って植えたら」に誘われ買って水中に保存し、平成23年4月16日蓮池に植えました。槍町の伏見さんから今年も頂き4月16日蓮池に植えました。土浦市の鈴木農園に注文していた蓮根が4月18日に届き、早速その日の夕方、蓮池に植えました。
 これからは、それぞれが芽を出すのを千秋の思いで待つばかりです。

2011年4月18日月曜日

東日本大震災 復興案

東日本大震災で被災された皆さんに心からお見舞いもうし上げます。
救援、支援の皆さんに心から感謝申し上げます。
原発の加害者、東電に心の怒りを伝えます。

被害者の皆さんの心は復興にあります。復興案を述べます。復興事業費は国費です。

1、原釜、尾浜地区は和田地区の高台を再興地とします。今の和田地区にお住まいの方々はそのままです。
原釜、尾浜で被災された方々は海が見え、波音が聞こえ、磯の香りの中で生まれ、育ち、生活をしてきました。これらを和田地区は満たします。
海から遠い感はありますが車社会の今、和田と原釜、尾浜の車時間は2~3分です

2、磯部の大浜、芹谷地、大洲地区の復興地を山信田の山かワッシャマとします。海が見え、波音が聞こえ、磯の香りは原釜、尾浜と同様です。磯部漁港への交通は従来の地区より2~3分多くなります。

3、船越、岩子地区。
今度のこの地区への津波は大洲の護岸を壊し、大洲、中州の防潮林を浚い、勢いを半減し陸地を襲いました。

イ、岩子の三久旅館、湖面から約1.5の地盤に建つ建物の約2.5m高さの庇の上に津波はヅックを置き去りにしました、此れよりして、此処での津波の高さは 4~5m。塩釜神社の西方に此れを凌ぐ高台が在ります。この高台を再興の地とします。

ロ、船越、賀都屋旅館前の電柱の約1.5mのところに漁網の切れ端が絡まっていました。この地は浦面から約1mの地にあります。此れよりして、此処での津波の高さは3m前後、此れを凌ぐ地は船越観音様の西方台地、高塚地区です。ここに復興地を求めます。


今回は以上です。以上をお読みの皆さん、ご提案ください。急ぎます。