2012年1月29日日曜日

驚き

 私が工業学校の時、神田神保町の本屋に立ち寄ると古典文学のコーナーが目立って見えました。心は惹かれても、手にすることはありませんでした。就職してからは職務本位、退職を待たず市会議員3期12年、近くは花の山築造。昨今、決断して古典を読み始めました。
 そして昨日(平成24年1月27日)今昔物語集(角川書店編)を読み終わりました。
「妻の悪口に乗せられ、老いたウ母を山に捨てた夫」の説話が載っています。この説話と私が20年ほど前に昔話の本を作り、その中に「ウバ捨山」を書きましたが、それと良く似ているのです。今昔物語集の解説によれば「成立年次を明記した史料はなく、作品に登場する人物や出典とされる書物から推定して、1120年ごろを成立の上限としている」からすれば
2012年-1120年=約900年。900年前の物語が丸森町筆甫の山村にも脈々と引き継がれていたことにびっくりしました。
 今の社会は1000年も2000年も否、それ以上の前からの文化を引きづって栄えていることに気が付きました。

2012年1月20日金曜日

被災者に安定した仕事を

 大震災で仮設住宅、支援金、復興支援と手は尽くされているようです。
然し、何よりも大切なの職です。仮設住宅、支援金、復興支援は一時的です。被災された方々には安住の住み家が必要です。三食は言うにおよばず、毎日を支える収入がなければなりません。安定した職こそ最大、不可欠の要件です。臨時的職業では不充分です。
 職業といっても多種多様、それぞれ得手あり不得手あり、能力が違います。魚を捕る人、裁く人、運ぶ人、売る人、と、何でもいいとは参りません。会社勤めといっても色々と職種、能力が違います。被災者はそれぞれ得意とする能力が違います。この職種を探し出すのは至難です。そこで、花植えは誰でも出来ます。そこで、当面、総ての被災者に向く仕事は花の山築造の仕事です。その花の山を天明山に作ることです。天明山の自然を残し可能な場所に多種多様な花を植えるのです。その作業に希望する総ての被災者が働くのです。国はその資金を出すのです。天明山はやがて天下一の花の山となり日本人の心を和ませます。市は論より先にスタートすることです。被災者は役人の討論を待っている時間が無いのです。
 花の山造成は塩手でもいいのです。相馬の名山であれば何処でもいいのです。