2011年5月12日木曜日

大震災

私、近年、東工学園同窓会誌に毎回投稿しています(昭和18年12月26日卒業)
今回の投稿
私の住む相馬市にも微量の放射能が飛来したせいか、私、文章がよくまとまりません。3月11日の大震災後、山形の娘の家に17日間、避難しました。相馬市も海岸地帯の建物は全部なくなりました。この地帯は壊滅状態ではなく壊滅してしまいました。この現実を前に頭の中が混乱し、まだ元に戻りません。
相馬市民の479名が、この世からいなくなりました。防潮林もなくなりました。そこでは一瞬にしてこの世がなくなってしまいました。幸いにも私の家は海岸線から約5km山の手なので津波は来ませんでした。被害はありません。地獄、極楽の境目はこの5km線上にありました。ところが天災の後には人災「放射能」という問題がこの地獄、極楽を一気に呑みこんでいったのです。目にも見えず、人体にも何も感じない放射能が今、私たちの身辺にひたひたと忍び寄っているのです。このやるせなさ、想定外は許されません。
そんな最中に希望の光が、原発事故地点から45kmに在る相馬市にも今、ボランティアの方々が大勢来て懸命に活動してくださっています。頭が下がります。
そして、自衛隊、警察の方々を始め日本各地、全世界の皆さんのご支援、ご協力、感謝あるのみです。一日も早い復旧、復興を願って止みません。同窓会誌、紙上をお借りして、先ずはご一報のみ。
 4月30日の記

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