2011年7月18日月曜日

細川先生

 高島易断所本部編纂の平成23年福寿暦を見たら私は86歳です。
昭和13年3月筆甫尋常高等小学校、高等科1年を終了した私は東京、世田谷に住んでいた叔母のところに口減らしの為に出され、世田谷高等小学校第2学年に編入しました。この時の担任の先生が細川先生と言いました。この先生、特に厳しい先生で朝の会の時、ふらふらし、落ち着かない児童を見つけると担任以外の児童でもかまわず飛んで行って気合をかけました。
 この先生、私が2年生の時、叔母に「将来ある子供だから家庭教師をつけて勉強すれば師範学校に入れるぐらいの学力がつくと思う、家庭教師料として木炭10表(1俵16kg)出せないか」と、相談を持ちかけられたそうですが、父は「生活が精一杯で出せない」と、断ったと聞きました。
 今日は7月12日、今年の夏も去年と同様に暑い日が続き33℃。私は晴雨に関係なく月~金まで桜丘小学校の遠くを「見守り隊」として1周すること5年。今日も何時も見慣れている鹿狼の峰の上の入道雲が。私は入道雲が目に入ると、歩きながら「雲の峰、空崩れ、ごろごろっと音して、、、、、、、夕立はげに夏の眠気覚まし♪♪」が口をついて出ます。この唱歌、細川先生がオルガンを弾く、児童が口を揃えて歌いました。細川先生はもうこの世にいない年齢です。
 「もっと早く何故捜さない」その通りです。私は後ろを振り向かない、猪突猛進型の性格ですが、細川先生を思うようになったのは、定年退職、市議3期12年、4期目落選で、今から16年前のことです。世田谷教育委員会に問い合わせて見ましたが名簿すらありませんでした。折に触れて細川先生を思い出すのですが、いまだ捜す方法すら見つかりません。細川先生以外の方々でも会ってみたい、捜して見たいと思う人も多多ありますが、あまりにも永い空白期間。  そこで各位に云いたいこと。
 自分の人生を振り返って見ても何の役にも立ちませんが、齢86歳、さしたる仕事もありません。ぼんやりしている空白を埋めるには過ぎ去った思い出です。人生10年目ごとぐらいに過去を振り返っておくと、齢86歳頃になっても空白が少なく、充実した日々を送れるはずです。
 このホームページをお読みいただいた各位、今までの人生を振り返ってみてください。そして、その後10年ごとくらいに。そして、86歳を迎えた頃は思い出がずっしりの日々を送ることができるはずです。

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